金言に感謝🙏
努力して結果が出れば、自信になる
努力しないで結果が出れば、奢りになる
努力しないで失敗したら、後悔する
努力して失敗しても、経験が残る
努力をしたのなら得るものがあるんだから、安心して行ってらっしゃい
by南海キャンディーズ山里さんのお母様
お母様が、落語会に出る前に緊張している山里さんに送ったLINEの言葉だそう。
この言葉をお借りして、なんとか乗り切れたことがあったので、書き留めておく。
楽しいことが1番で、辛い「努力」は我慢ならない我が子。
新しいことに興味はもつけれど、続かない。
ピアノは弾きたい曲が1曲弾けた(あっという間に両手で弾いた)ら辞めたし、
サッカーは友達が辞めたら、(どうやっても)行けなくなった。
そろばんもロボット教室も、出だしは上々、難易度が上がってつまずいたら再起できなかった。。。
小さい頃は、励ましたり助けたりしながら、泣いても連れて行ったけれど、どうにも嫌がる程度が違う。これはやり方を変えなきゃなと。
専門家に相談して、発達特性もわかったことが、じっくり向き合うきっかけとなった。
知れば知るほど分かったことは、日常生活をなんとかやっていくだけで、本人にとっては、かなり努力のいることだってこと。
例えば、学校の提出物がなかなか出せない無責任な行動も、実は真面目な融通の効かない0か1の思考からきている。
適当にやって出せばいいじゃない。
って思うが、本人には難しく、やるとなったら納得いくものじゃないと許せないらしい。
自力でそこまでは出来ない(と感じている)から、結果的に提出しないってことがここ数年続いていた。
加えて、手伝われると納得できず、ええ、家族や周囲としてはとっても難しい。
最後には、「出来ないことはやりません」と、スパッと切っちゃう😅から、「無責任」な行動になってしまう。一見相反する「真面目過ぎ」から来る無責任だけど、融通がきかない大変さは、なかなか分かりづらい😱
そして、心の奥底では、努力して結果が出ないことを恐れているんだということが分かってきた。
だから本人は努力していても、
「適当だよ(努力してないよ)」
と言う。
↓
「適当ならば結果がよくなくても仕方ない」
↓
「やれば出来るんだよ」
なんとか傷付かないように、小さな自信を保つ感じ。。。
最近は、続かない自分に怒るのではなく、ホロホロと涙を流すようになった。
堪え性の無い自分を直視することや、頭で分かっても身体がついてこないことが、辛いんだろうということが伝わってくる。
自分のことを大事に思えない。
見ている私も切ない😩
小学生の時に
「自分は、豆腐メンタルなんだ」
と言っていたが、自身の傷付きやすさは自覚済みだったってこと。
「いっそ、豆乳になっちゃったら楽だね」
っていう返しで、2人で大笑い😂
この子とは、深刻な話を長くすることは難しい。あの張り詰めた空気に耐えられないのだそう。だから、どこかに笑いを入れて、楽しい空気の中で真剣な話をする。塩梅を間違うと、あっという間に脱線するから、軌道修正は早目に入れる。深追い厳禁で、引き際が大事‼️
少し前に学校でスピーチの代表に選ばれた。
選ばれた時はまんざらでもなさそうだったが、発表の日が近付くと、不安に襲われる😅
これが毎回のパターン。
直前になると自信がなくなって逃げる💨
今回は、夜になって、急に不安を吐露し始めた。
そこで、今回は山里さんのお母様の言葉を拝借🙇♀️
オリジナル
「努力して、結果が出なくても、経験が残る」
↓
アレンジ
「やって失うものはない。結果がどうであれ、経験は残るから」
今はコツコツ努力はできないし、人からの評価を全く気にしない、でも失敗を過度に恐れる我が子向けバージョンで💦
つまり「努力して」という言葉は抜かなきゃならなかった。
子供「そうだね、なんか久々に心に響いたわ」
珍しく琴線に触れたらしく、翌日はスピーチもやり遂げて帰ってきた☺️
私と子供は大事にしていることや、恐れるものが違うから、私がどれほど自信をもって言った言葉でも、全然心に届かないってことがよくある😓
こんな時は、子供の心にフィットする誰かの言葉をお借りするのも1つの方法だと思う。
言葉は借りてきたものですが、あなたを思う気持ちは本物です。
もう少しいろいろ経験して、成長して、絹豆腐メンタルが、木綿豆腐メンタルくらいになったら、肝である「努力して」も入れられるかな。
私を震撼させる言葉 登校渋り
「学校に行きたくない」
これぞ私を揺るがす我が子の一言。
最近、上の子供の調子がよくなかった😅
この記事は随分前に書いて、温めていた物。
なかなか投稿しようという風に心が動かなくって💦
子供「学校に行っても、毎日同じことの繰り返しでつまらない」
超絶多動症の我が子には、一般的な日本の学校形態がフィットしないらしい。
子供「授業が悪いわけじゃないし、先生も好きなんだけど、とにかく学校行きたくない」
誰のせいにもしない。
担任の先生や学年の先生は、小まめに連絡をくださるし、理解しようとしてくださる。そして親である私までも助けてくださる。本当に感謝しかない🙇♀️
我が子の生き辛さの1つに能力の凸凹の大きさがある。
全体IQは130ほど(標準域は90から110)あって、理解は早いし、言語も年齢以上に巧み(場に相応しくない言葉選びは問題)。
強いて言えば、視覚認知は90半ばで、得意な言語や空間認知との差が大きい。すると、大して苦手ではないことも、やけに苦手なことに感じてしまう。
そして何よりも、通っているクリニックでは5本の指に入るほどの多動だと言われるのだから、生き辛さ(障害)の域に達する特性だと言える。
外見から分かる多動だけでなく、頭の中も忙しくしていないと本人は不快になるので、この塩梅を周囲がどうこうしようなんて思っちゃいけない。
「折り合い」
頑張りどころは、この一言に尽きる。
只今絶賛、折り合いの付け方を修得中。
学校に全く行かない
or
学校に全て行く
この2択ではなく、0と1との間で折り合いを付けていくこと。
本人的には、学校は絶対に行かなくちゃいけない所だというルールがあるから、マイルールに抗うのはとても難しいことらしい。
だから、
「(行けないなら)死んだほうがマシだ」
まで振り切れてしまうので、本当に生きづらいだろうなと思う。
行ってみたら、先生の話が面白かったとか、友達と遊んで楽しかったなんていることも待っている。そういう促しが効果的な日もあれば、
「行かなきゃ、行かなきゃ。。。」
と呟きながらホロホロ涙を流すような状況では、遅刻して落ち着いたらの登校でよしとする日も必要。
当初のルーティンは、夜は10時ごろには床に就くけれど、朝食後2時間ほどまた眠る。起きたらヨーグルトか、軽食をつまんで登校していくという流れ。不登校の一歩手前の登校渋りでギリギリ踏みとどまっている感じ。
何がベストなのかは、本人にも私にも分からない。
子供のことだと、自分が亡き後の心配までしてしまうが、今を乗り切るという考え方も大事だなと、ここ数年で考えが変わってきた。
時間の経過と共に、自然と育つ部分や、人との出会いによって成長していくことを願って🙏
心の内の震えを隠しながら、早く(メンタルが落ち着く)冬が来るのを待つ。
その後の経過も、私の心が動いたときに👋
卓上クリーナー4台目
家電というほどではないけれど、消しゴムをよく使う仕事をしていたので、長らく仕事場でもお世話になった便利グッズ。
子供が生まれてからは、お菓子やパンなどの食べこぼし(乾燥している物)を掃除するのに役立って、食卓の隅にいつも鎮座☺️
いろんなタイプがあるけれど、正直なところ使い心地はどれも似たようなものだったので、置く場所の雰囲気で選べばよいかと。
最近はUSB充電が出来るものが発売されていて、今のが壊れたら(大体2年くらいで、吸引力が下がって買い替え)、次の候補はコチラ👇
我が家で過去に使ったor使用中の卓上クリーナー👇
子供との距離感 子離れ?
私と子供は、親子だけど、別の人間だということを改めて意識する瞬間がある😲
もちろん、遺伝的に、そして同じ環境や経験によって似ている部分もあるけれど、生まれもった何かが違うんだなと思う部分☺️
例えば、「学ぶ楽しさ」を、私は知らないことを知れて、自分の身に付くことが楽しいと感じている。
子供は、学ぶこと自体が楽しいか、気分が盛り上がるか、楽しみがあるかが大事なのだそう。
年齢も立場も違うから、一概には言えないけれど、「楽しさ」1つとってもこうも違うのだなと。
されて嫌なことも違う。
子供は強制されるのが嫌い。だから
「○○しなさい」
「○○した?」
とか言われると、急激にやる気が無くなるのだそう😱
とにかく、自分のペースや自由が大事。だから、私もタイミングと言い方には気を付けていて、
「お母さん困っててさぁ。。。」
「都合のいい時に○○お願いできる?」
何をするか、やるやらない、時間に選択の余地がある声かけでお互い快く過ごせるようにしている。
一方、私は
「母さんとは他人だから」
(おそらく、別の人間だと言いたかったのだろう)
なんて言われたときの、悲しみと怒りは、自分でも驚くほどだった👹
なぜ私はこれほどまでに傷付いたのか?
時間をかけて考えて、本を読んだり、カウンセラーとの教育分析で辿り着いたこと。
もしかしたら、私は一方的な愛の押し売りをしていて、その気持ちを分かってほしいと思っている。相手にとったら迷惑な愛情。重い‼️
逆にうたた寝中に肌掛けをかけてくれるとか、車に酔った私に膝枕してくれる、重い荷物を持ってくれる、みたいな何気ない優しさが滲みる。
きっと、普段はどうであれ、この子の芯の部分は優しく、お互いに大事に思ってるって実感するからかな。
タイプが違うから、お互いに「ちょっと面倒くさい相手」って思っているだろうけど、どっちがいい悪いではなく、相性の問題。
そして、「違うんだな」ってことを、心底納得できた時が、子供との距離を考え直す1つの転機だった。
「子供を思うようにしたいっていう気持ちが強すぎるから、苦しいんだわ」
「これは、私がいくら頑張ってもどうにもならないこと」
「今のあの子は、価値を感じないってこと。
タイミングが来れば❓いや、来ないかも⁉️」
って、どこか子供の問題と自分の問題を切り離せた感じ。
紆余曲折ありつつ(現在進行形)、随分といい距離感になったと思われる。
必要な時には、そそそっと近付いて話し込んでくるから、遠すぎるわけでもないのだろう。
子供にも聞いてみたら
「これくらいでいい」
と返ってきた。
案外私が思っていたより、ドライがお好みらしい😅親離れ子離れが近付いていると感じる。
ミルクティーで気分転換
多動な子供のリラックス法
☆気付けば身体のどこかがソワソワ動いてる。
☆じっとしているのが苦手で動いていたい。
☆姿勢保持が難しい。
☆動いたり喋ったりしているほうが心地よい。
多動症の子供との初めての出会いは、今から16年前。厳密には、診断された子供との出会いであって、それまでも同じような特性をもった子供を受け持つことはあった。
無知とは恐ろしい物で、多動症というものや、その原因や対応方法を知らなかった時には
「本人の努力不足」「親の育て方」「生育歴」が原因かな?としか考えていなかった😭
昔に出会った子供たち、本当にごめんなさい🙇♀️
「プロは、生涯学び続けることで、知識や技術をアップデートしていく必要がある」
と思うのは、こういう経験からきている。
多動症の原因は諸説あり、まだ解明されていないが、今回は作業療法的に見て、「自己刺激行動」としての多動をまとめておく。
本人が感じる眠気とは別の「覚醒」に着目する。覚醒が高過ぎたり、適度な覚醒レベル(ここが快適であり集中もしやすい)より少し下がったりした時の不快感を和らげる為に身体を動かすと考えられる。
赤ちゃんが眠いのに👶💤さっと眠りにつけず、ぐずるのと似ている。
覚醒が高い場合は、クールダウンのために好きな活動に集中したり、周囲の刺激から遮断したりするのがオススメ。
一方、覚醒が低くなっていることが原因の多動の場合には、覚醒を上げる対応がよい。例えば、首元にアイスノンを当てたり、外遊びで身体を動かしたりするのがオススメ。
とは言え、覚醒レベルが下がりすぎている場合には、眠って体をやすめることが有効なので、どれほどの覚醒レベルか、様子を観察して決める。
覚醒レベルが適度に保たれない時に感じる不快感を、何とかするための自己刺激行動としての多動。
この多動を抑えるために、静かに座っている時間を課して長くするというのは、逆効果なことが多い。
逆に、授業前に校庭でひと遊びするという昔ながらの習慣は、実は多動の子供にはとっても有効👍なもの。最近は早い時間に登校して遊ぶことが禁止されている学校も増えてきているのは、残念なことだなと思う。
多動の子供は、姿勢を保持するのが難しい場合が多く、その為には体幹を強くし、バランス感覚を養うのがよい。
不安定な場所での遊びや、縦揺れの遊びがいいと言われている。簡単に言えば、公園遊びでも十分👍習い事をして1つの決められた動きをたくさん練習するよりも、自由遊びの方が様々な動きを経験できてよい。
例えば、公園のシーソーや、ブランコ、家の前ではホッピングや乗り物、家の中ではバランスボールやバランスクッションなどを置いておくなど。。。
我が家では、インテリアにもマッチするこのバランスボールを愛用中。テレビを見ながらピョンピョンとバウンドすると、リラックスできるんだとか😅
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