おばあちゃんを変えたものは HSC
<p>今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」</p>
子供に発達障害がある場合、おじいちゃんや、おばあちゃんの理解と協力は本当にありがたい🙏
親とは違う経験に裏打ちされた見方、時間や心のゆとりなど、祖父母との相性で助けられる子供は多いと感じる。
今回は、NHKで放送されたHSCのドキュメンタリー「敏感くんたちの夏」に登場したおばあちゃんの姿に感動したので書き留めておく。
この1年の密着取材中に、1番変わったのは、元気君のおばあちゃんだったのではないかと思う。当初は元気くんを苦しめていた責めるような態度が嘘のように、理解者であり味方になっていった。おばあちゃんを変えたのは何か?
あらすじ(元気君のみ)
ASDと過敏さのあるHSC(敏感すぎて生きづらい子供)の元気君。人が大勢いると、疲れてしまう。例えば、誰かが叱られていれば、自分のことのように感じて傷付く。周囲の感情を自分のことのように感じてしまうからだ。静かで平和が好きな元気君は、楽しいはずの運動会でさえも参加できない。
それが理解できないおばあちゃん(運動会は楽しい行事だと信じている)は、みんなと同じように楽しく過ごして欲しいと願うが、元気君にはできない。孫を不憫に思って涙ぐむお婆ちゃん。
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おばあちゃん、元気君を愛してるのです。
主治医の勧めで、元気君と2人旅に出ることに。旅の中で、「感じたことメモ」をつけて、お互いに見合うことにする。
レストランでの食事では、
おばあちゃん
「人が少なくて寂しいな」
「交換して食べたスパゲッティが美味しいな」
一方、元気君
「人の目が気になる」
「店員さんが忙しそう」
「(レストラン内に居合わせた)赤ちゃんが泣かないか心配」
同じ場所で同じ経験をしても、こんなにも感じ方が違うのか。人や動物にまでも気を使いながら生きている元気君の大変さをおばあちゃんは初めて理解する。
その後、中学に進学して、お母さんと、お婆ちゃん、学校の先生、主治医での話し合い。
お母さんは、このまま週に数日の登校では、勉強は遅れ、将来なりたい職業の選択肢を狭めてしまうのではないかと心配する。
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親としてこの心配は、痛いほど分かる
そこで、お婆ちゃんが
「今は通信制など様々な学び方がある。無理にみんなと同じように登校させなくてもいい。過敏さは元気のよさでもある。」
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もちろん、学習については新たな手立てが必要でしょう。でも登校にはこだわらなくなりました。
お婆ちゃんを変えたものは何なのか?
愛?
愛は時に、前半のお婆ちゃんのように愛してるからこそ、相手に「こうなって欲しい」心配だから「こうして欲しい」が強くなりがち。
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個人的によく分かる
理解
自分を知り、相手を知ること。
自分と人は違うって理解できた時に、自然と受け入れられる。
「おばあちゃんは賑やかなのが好き」
「元気君は穏やかなのが好き」
「おばあちゃんは気にしない」
「元気君には心配」
おばあちゃんが元気君の1番の味方になれたのは、「理解」のお陰なのではないかと思う。でも、「理解したい」って思うことの根底には愛があるんだろうなと。
愛の反対は無関心 (byマザーテレサ)
私の母も、同じような経験をしてくれた。
きっと、孫の特性を理解して認めるまでには、葛藤があっただろうし、辛かったと思う。
娘として、母をこんな目に合わせて申し訳ないとさえ思う。
そんな迷惑をかけまくった子供が、敬老の日に
「電話しなくちゃ」
と受話器をとった。おばあちゃんの愛情は伝わってるって今は思う。